高野口中学校建設までの経緯と問題点
高野口中学校建設までの経緯
・旧高野口中学校、旧応其中学校、旧信太中学校を廃止し、新たに山の中に現在の高野口中学校を建設し、高野口小学校、応其小学校、信太小学校の生徒が通うことになる
・高野口中学校建設場所は旧信太小学校、高野口小学校、応其小学校のほぼ中間に位置
・統合後でも高野口小学校、応其小学校の生徒数は共に1学年100人近くいたので生徒数減少による統廃合ではない
・旧高野口中学校跡地には県立きのくに支援学校を建設
・県に旧高野口中学校跡地を明け渡す形で統廃合が実施された
位置関係
①旧信太小学校
②高野口中学校
③高野口小学校
④旧応其中学校跡地
⑤伊都中央高校
⑥応其小学校
⑦旧高野口中学校(現在は県立きのかわ支援学校)
県教育委員会の対応
市議会議員が高野口中学校の伊都中央高校への移転について質問を行いました。
県の回答は次のようなものです。
「伊都中央高校の一部を借用する方法を考えていただきたい旨を要請いたしました。
県からは、伊都中央高校の現在の校舎・運動場等の使用状況から、中学校へ貸し出しできるスペースがないことや、
中学生との共存は、学習環境的に定時制の生徒への影響が懸念されることなどの意見が返ってきました。」
市議会議員「県の教育委員会とも話をしました。そこで感じたことは、県立学校課と義務教育課、ここの考え方にすごく相違があるのかなと。
これはあくまで私の個人の感想なので、そうじゃないと言えばそうかもしれないんですけれども、
県立学校課のほうはどっちかといえば、高校は県のほうやから、それは県でやって、市町村の小・中学校に対しては自治体でやるべきやという考え方やったように感じました。」
とあるように県は取り合わない姿勢です。
県立きのくに支援学校は旧高野口中学校跡地に建設されました。
県に橋本市は土地を県に提供したにもかかわらず、橋本市の要請に対しては県は全く取り合わず、恩を仇で返すような姿勢です。
橋本市民は住民税として県民税を県に納付しています。県立高校は県の所有かもしれませんが、橋本市民のものでもあります。
高野口中学校に通う生徒と父兄にだけ負担を押し付け、状況を改善するつもりが無いのでしたら一体何のために行政が存在するのでしょうか?
残された負の遺産
生徒数が減少していたわけでもありませんので統廃合は必要ありませんでした。
市民のほとんどが得をすることなく、生徒にとっては負担が増える統廃合でした。
当時を知る人から、次のような話を聞いています。
「高野口中学校を建てた近辺の土地を建設会社が所有(安く購入)していた」
「建設会社が持っていた土地を高野口町が買い取り、そこに学校を建てた」
「町長が独断?で計画を進めた」
市民のほとんどが得をしないような強引な統廃合が実現したのですから、
建設会社は様々な働きかけをしていたのでしょう。
建設会社の評判は良くなく、欠陥工事も多かったそうです。
文科省から酷評された高野口中学校だけでなく、手がけた工事の多くで雨漏り等の問題が起きているそうです。
その後、その建設会社は倒産し、山の中に危険な中学校だけが残りました。
令和の時代にもかかわらず、未だに負の遺産で生徒や父兄が苦しめられているのです。
耐震診断結果
橋本市が行った耐震診断の結果が公表されています。
Is値は耐震性能を表す指標で震度6以上の地震が起きた場合、Is値が0.3未満では倒壊または崩壊する危険性が高いとされています。
Is≧0.6では倒壊の危険性が低いとされており、文科省は0.7以上に補強するように求めています。
CT×SD値は建物の形状や累積強度の指標に関する判定基準です。
CT×ST値が1.25以上ではIs値が低くても安全とし、0.3以下ではIs値が高くても安全とはしません。
橋本市内の小、中学校で昭和40~50年代に建てられた学校の耐震診断の結果は次のようになります。
小学校の中では応其小学校、中学校の中では高野口中学校の数字が非常に低くなっています。
特に倒壊の危険性が高いとされるIs値が0.3未満であったのは応其小学校、高野口中学校のみです。
応其小学校も高野口中学校と同じ建設会社が工事を行いました。
明らかに問題のある建設会社であったことが数字からもわかります。
(注、耐震診断の結果は平成18~20年に行われたものです。応其小学校、高野口中学校は平成22年に補強工事が実施されています)